
塩をよく溶かした水に強力粉と薄力粉を混ぜて加え、生地としてまとめたものを米袋に入れる。すると父はおもむろにその上に乗って足踏みを繰り返し、米袋いっぱいに生地を伸ばした。そうしておいて今度は一旦生地を外に取り出し、四つに折り畳んで米袋に戻すとまた踏み始める。
「父さん、今度は僕が踏みたい!」。
父を見ていると僕は無性に自分でもやってみたくなり、我慢できずに声をあげる。子どもの頃、節分の前日に決まって繰り返されていた我が家の光景だ。

父から許可が下りると、”やった!“と言わんばかりに僕は一目散に父が作る手打ちうどんの生地の前に飛んでいく。父に言われて履き替えた清潔な靴下の足裏に感じる、雲の上にでも乗っているようなフワフワとした感覚が、僕はたまらなく好きだった。
”畳んでは踏んで、薄く伸ばす“を10回ほど繰り返したうどんの生地は、翌日の節分の日の夕食用に暖房を入れることのない冷んやりとした部屋に寝かせておく。
東京で生まれ育った僕が、関西圏で節分の日に食べるという恵方巻を知ったのはここ数十年くらいのことだが、我が家ではどうしたわけか、節分には父が作る手打ちうどんを食べる習慣があった。
一般的には年男か家長の役割とされている節分の豆撒きは、家では毎年決まって僕と妹の役割になっていた。
今思えば、特に料理好きでもない父が生地から作って家族に振る舞う手打ちうどんには、豆まきを無事にやり遂げた僕と妹、そして日頃の母への労をねぎらう思いが込められていたのだろう。
「鬼は〜外、鬼は〜外」。
僕と妹の二人が大きな声を合わせて2回叫び、開け放った窓から庭に向かって思い切りよく豆を撒く。毎年豆を撒くときには、僕はあえて当時飼っていた犬のチビとシロの小屋を目掛けて撒くようにしていた。なんだかまるで犬たちを鬼に見立てているようでかわいそうな気もしたが、少しでも彼らのオヤツになればいいと思っていたのだ。
「ほら二人とも、大きな声で元気に叫ばないと鬼が逃げていかないぞ。でも福を呼ぶ時は脅かさないように、少し小さめの声で言うようにするんだぞ」。
「福は〜内、福は〜内」。
父が毎年恒例の声をかけ、それを受けて僕と妹が小さめの声で”福は内“を唱えると、無事に豆まきが終わった。
家の中に撒いた豆を綺麗に箒で掃き集めて片付けると、父はすぐにうどんを茹で始めた。前日に足で踏んで寝かせておいたうどんは市販のものとは違い、しっかりとしたコシがあっておいしかった。そして僕は、あっさりとした手打ちうどんの後に食べる香ばしい福豆を毎年楽しみにしていた。
数え年の分だけ食べて良いという福豆の数を、几帳面に数えて食べていたあの頃。けれど、いつも物足りなく感じていた僕はこの時になると決まって、”飽きるほどこの福豆が食べてみたい!もっと早く年を取りたい“と願って止まなかった。
それは時の長さが無限に思えた、ほんの子どもの頃だけの切なる願いだった。
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