
九州南部のとある漁師町。県全体の7割もの漁獲量を誇り、天然の良港に恵まれた町がある。最寄りの駅からは、峠を越えて、くねくねしたリアス式海岸沿いの道を車で走らせること30分。穏やかな海に囲まれた漁港のそばで、何隻もの漁船が揺れている。子どもの誕生とともに新調した船もかれこれ30年。時を経てできた錆が独特の雰囲気をまとう船こそ、私の相棒である。この町で生まれ漁師として生きる、ささやかな私の人生を少しご紹介しよう。
私は明るく元気な父と、温厚な母のもとに生まれた。高校を卒業後、大阪で営業マンとして歩き始めたのだが、真新しいスーツがやっと自分の体に馴染んできた頃、父が体調を崩してしまった。「漁に出るんが減っちょんのよなー」と話す電話越しの母の声が耳に残る。
漁師の息子に育った私は、小さい頃から庭にある網やタコ壺で遊び、生け簀に入った魚と会話するのが日常だった。子どもの頃、毎日眺めていた穏やかな海。しかしいざ船に乗ると、大きな波の揺れにとても耐えられない。
これまで何度か船に乗ったが、私の船酔いはひどかった。打ちひしがれた息子を見て、きっと父は”あんやつは、いっちょん無理やな“と内心思っていただろう。そんな私も”こげんきちぃのはやっちょられん“と錯乱した。その一方、6人姉弟の末っ子で5人の姉に囲まれていた私。”親父になんかありゃあ、自分がせんにゃらん“という使命感を、ギリギリ私は持っていた。

大阪から地元にすぐ戻った。5人の姉の視線を横目に感じながら、父と一緒に何度も海へ挑む日々が続く。不思議なことに身体が少しずつ慣れてくる。”わしゃ漁師になるんやろうなぁ“という根拠のない自信が、船酔いを克服させた。私はいつも見ていた海に吸い込まれるかのように漁師になった。
まずは不規則な生活に慣れること、仕事内容を覚えることで精一杯だった。周りの漁師は年上ばかりで、友達と呼べる仲間もおらず、孤独との戦いでもある。ひたむきに父と仕事をすること3年、徐々に漁師の勘をつかみ始める。仕事を楽しむだけの余裕もうまれ、ちょうどその頃、結婚した。
今の漁船は船の操縦が自動化され、網の巻き上げも電動で行う。父が現役の頃は、すべてが手作業だった。かなりの力仕事で、今の私には到底できそうもない。父がかつてリタイアした年齢と重なった今、父の偉大さと、体がついていかない歯痒さも感じるのだ。
船の中に無造作に置いてあるロープ達。揺れる船の上を歩くのも、たった1本のロープにつまずいたりする。自分では足を上げているつもりだが、実際にはロープを越える気持ちと体がバラバラだ。”こがんロープでこけるんかあ、あいたよー(参ったなー)“
長い休暇を挟んで、久しぶりの船では、今でもたまに船酔いをする。そうすると、いつも妻のサキが作ってくれる弁当が喉を通らない。家に帰ってみて、サキが弁当の残りに気づく。
「今日はどしたん? アレやったん?」
「そうそう、アレやった、もうね〜・・きしょくわりかった。」この歳にもなると、妻とは”アレ“で会話が成立する。体の動きが鈍ければ、言葉もなかなか出てこない。”あいたよー・・“
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