
漁師の仕事は夕暮れ前から始まる。日没が早い冬は、15時になると妻のサキが弁当づくりに取りかかるが、なにやら頭を抱えている。私の弁当のおかずを何にするか悩むのだという。
「昨日の残りでん入れときゃよかろうが。家にあるもんでいいんやねぇんか」
「残りでいいんやったら、そんげ悩まんよ。そうやないんよなぁ」
弁当を食べる本人の意見には納得せず、ただ弁当におかずを詰めたらいいというわけでもなさそうな主婦の頭の中は、何年一緒にいても理解できない。
そんなやりとりをしながら、天候や波の状況、漁師仲間が出漁するかを確認する。常に命の危険が潜んでいる海の世界では、自分の身に何か起きた時に助けてくれる仲間が必要なのだ。
漁師といえば、カッパと呼ばれる作業着に、タオルはちまきを想像するだろうか。私の作業着は、船での古い傷が散らばった、全身黒光する厚手のウィンドブレーカーだ。足元は、所々色の剥げた長靴がしっくりくる。磯のにおいが染みついた弁当袋の中に、みかんと少しの飴を忍ばせて、支度を済ませた。サキ特製の弁当を勝手口から受け取り、「ほいじゃぁの(なら行ってくる)」「あいよ〜」と軽い挨拶を済ませたら、軽トラを走らせる。
私の仕事は底引き網漁。2本のひき網がついた袋状の大きな網を水深数十メートルの海底まで入れて、船を移動させながら入った魚を水揚げするのだ。
「今日はあっちに魚ん群れがおるわぁ、けんど天気が悪なるごたるよ」
レーダーを見ながら他の船仲間と無線で連絡を取る。仕掛けの場所を譲り合いながら、網の仕掛けを海へ落としていく。
一旦網を海へ落とすと、船の上で1時間ほどの小休憩に入る。操縦席は2畳ほどの広さで、くつろぐスペースはわずか1畳ほど、足もゆっくり伸ばせない。レーダーや機器、修理道具がひしめき合う秘密基地のような狭い空間で、ご飯がみっちり詰まった弁当と、甘みが強い大玉の津久見みかんを頬張る。
大きな袋状の網を機械で巻き上げると、コウイカや車エビ、ヒラメが顔を出した。船の上で魚を仕分け、市場に運ぶと仕事は終わりだ。家の布団で足を思いっきり伸ばす頃には、もう朝になる。

大漁の時は、魚の仕分けに時間がかかって体はヘトヘトだが、活きのいい魚たちに内心高揚してしまう。潮の流れや魚の動きが予測できない不安定さがあるからこそ、スリルがあって面白い。
大物が手に入ればもちろん市場に持って行くが、”そういや、もちっとしたら息子の健が帰ってくるき、多めに取っちょくかね“家族の喜ぶ顔を想像しながら、少し大きめの魚を軽トラに乗せて、家に持って帰る日もある。
私の獲った魚を喜んでくれる家族だが、毎月29日にはサキと一緒に近所のスーパーまで買い出しに、車を40分ほど走らせる。29日はお肉の特売日。山と海に囲まれた私の家は、買い物へ行くのにも峠を越えなければならない。たくさん買い込むサキには、荷物持ちという私の存在が必要なのだ。
翌日の30日の弁当は必ず牛丼だ。玉葱がくたくたになるまで汁が染みた甘めの牛丼が好物であることをサキは知っている。いつもより少し豪勢な弁当になる月末は「今月も無事に漁ができたありがたみ」を感じる瞬間だ。
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